糞国志便義 |
第一回「抗菌の乱」
(マリ俺)時は184年、後浣末期。
「大便道」を唱えた
腸掻の指揮する「抗菌賊」の反乱が浣全土に拡がっていた。
世に名高い
「抗菌の乱」である。彼らは、
蒼天己死 (そうてんすでにしす)
肛天当立 (こうてんまさにたつべし)
歳在肛子 (としこうしにありて)
天下大便 (てんかだいべん)
をスローガンとし、
糞で染めた黄色の旗を持ち、人を見つけては
手当たり次第に糞を投げつけていた。
第二回「腸炎の誓い」
豚郡豚県
の草履売り、溜備便徳は、ある日、抗菌賊に対抗する痔兵募集の看板の前で屁をこいた。
その場にいた大男・
腸飛は激怒し、溜備に詰め寄った。溜備
は天性の詭弁と虚言で、その場しのぎを図る。「屁のように聞こえたのはため息です。
実は私は浣王室の血を引く者。
この世の乱れを何とかしたいが、
私一人の力ではどうしようもなく…」
権威に弱い
腸飛は、浣王室と聞いただけでひれ伏し、すぐに兄貴分の
浣羽を連れてきた。後に引けなくなった
溜備は、仕方なく自分の家の庭に二人を招待して、
泣く泣く、秘蔵の酒を振舞った。
飲み干した酒壷の底には、鼠の糞がびっしり。
数分後、三人は桃園に下痢を撒き散らした。
第三回「下肢の戦い」
溜備
は、浣羽、腸飛が兵を集めてきたためしぶしぶ旗揚げした。
しかし、助っ人として抗菌賊を滅ぼし、
強豪の
便紹、便術軍らと互角に戦った頃にはすっかりいい気になっていた。
この時代、天下一のコウモリ男として名を馳せていたのは
名馬・赤吐馬に乗る
呂糞であった。一度
呂糞の裏切りで痛い目に遭っている溜備は、呂糞
と犬猿の仲で、利害関係が一致する粗相と手を結び、呂糞征伐に乗り出した。
さすがの
呂糞も、浣羽
、腸飛、粗相に囲まれては(溜備は逃げた)たまらず、
下肢の城のトイレに逃げ込んだ。震えながら脱糞する
呂糞。しかし、敵は身内にも居た。
呂糞
のコウモリぶりに呆れた二人の部下が和式汲み取り式のトイレの糞タンクに身を潜めており、
脱糞直後の力が抜けた瞬間を見計らって、
呂糞
の足を掴んでタンク内に引きずり込んだのだ。不意をつかれた
呂糞は抵抗する間もなく縛られ、粗相
に引き渡された。粗相
は糞まみれの呂糞に明らかな嫌悪感を示し、鼻をつまみながら、すぐに首を斬った。
その様子を見ていた
溜備は思った。「こいつと俺とは価値観が違う…」
溜備
と粗相の確執は、ここから始まった…第四回「除臭 陥落」
呂糞
が支配していた除臭を、我が物顔で統治する溜備。清潔な街はたちまち糞が目立つようになる。
それを知った
粗相は激怒した。溜備
は先日戦ったばかりの便紹と同盟を結び、粗相
を迎え討つことにした。予想をはるかに越える二十万の大群で攻めてきた
粗相。溜備
は驚き脱糞しながら、慌てて便紹に援軍を求める。しかし
便紹は便秘を口実にこれを完全無視。便紹
だけが頼みの綱だった溜備軍は、もろくも敗れ去り、溜備
は脱糞しながら、命からがら便紹の元へ逃げる。除臭
の城に一人置いてきぼりにされた浣羽は、しぶしぶ
粗相の配下になるのだった。第五回「吐く馬の戦い」
便紹
は粗相軍が除臭の戦いで疲弊したのを見計らい、粗相
が支配する吐く馬の地に攻め入った。便紹
軍は顔尿の活躍で戦を優位に進めていた。そこで
粗相は浣羽に出陣を要請。浣羽
は難なく顔尿の首を斬り、さらに仇討ちに来た
糞臭をも斬り捨て、粗相
軍の逆転勝利を確実にした。浣羽
はこの二つの首を粗相に献上したが、粗相は「この首、小便くせえ。こっちのは糞くせえ。」
と言って、受け取ろうとしなかった。
このため
浣羽は、やはり粗相には仕えられないと思い、数日後、番人に糞をぶつけて関所を破りながら、
溜備
の元へ向かう。さすがの
浣羽も、千里を過ぎる頃には脱肛になってしまう。これが有名な
「浣糞長千里脱肛」である。その頃、大敗した
便紹は溜備に、「わが軍の二人の大将を斬った
浣羽というのはお前の義弟だという話じゃないか。」
と問い詰めていた。 この大ピンチに
溜備は、「
浣羽?そんな奴は知りませんな。私の義弟を勝手に名乗るとはふざけた奴ですな。」
と言ってとぼけるのだった。
第六回「痔難の戦い」
便紹
の疑いは晴れず、身の危険を感じた溜備は、便紹
が荊臭の溜表との同盟を望んでいる事を知り、荊臭
への使者を買って出た。使者を任された
溜備は便紹軍から離れ、間もなく
浣羽と合流。さらに、
溜備を義の人と誤解(痔の人の聞き間違い)する趙糞
とも出会い、これを加えて痔難へ向かった。偶然にも
痔難の城は腸飛が手に入れており、ここで三人の義兄弟は再会を祝った。
「
腸飛、そして浣羽よ。私は離れている間もお前達のことをおろそかにしたことは一度もなかった。」
「
溜備兄…」溜備
軍は痔難を拠点として態勢を立て直しを図る。もちろん使者として
荊臭に行く気も便紹
の元に帰る気も毛頭無いのであった。大将も増え、気が大きくなった
溜備は、天敵・
粗相の治める許吐に兵を進めた。これに対し
粗相は、応戦せずに自陣を守ると見せかけ、裏を回って、空っぽの
痔難に攻め入った。溜備
はあわてて兵を痔難に帰すが、あえなく居城を落とされる。
またもや大ピンチの
溜備は浣羽
や腸飛を殿(しんがり)に置いて壁にし、自分は先頭で脱糞しながら一目散に逃げる。
その方向は皮肉なことに、
溜表
のいる荊臭なのであった。第七回「肥肉之痰」
(マリ俺)便紹
のもとを離れ、荊臭の溜表を頼った溜備。溜備
は溜表の庇護の下で平和な日々を過ごしていた。ある日、便所に立った
溜備だったが、いくら頑張っても糞が出てこない。
あきらめて便所を出た
溜備は、痰を吐いて
溜表に言った。「私は
溜表様の食客として、何不自由なく暮らしておりました。
しかし、そのせいで我が糞は
戦いに明け暮れていたころと違って
我が太腿の脂の如く出て来ません。」
これが
「肥肉之痰」である。その頃
粗相は、「吐く馬の戦い」に続いて「浣腸の戦い」
で便紹を破り、荊臭
へと攻め込む準備を着々と進めていた。第八回「糞野・糞城の戦い」
溜表
をおだてて分けて貰った糞野の地で、溜備
は再度立て直しを図る。そこに、
痔庶という者が志願して来た。これまで、攻撃力はすごいが知力がイマイチの奴らに
囲まれていた
溜備にとって、痔庶の知謀は新鮮であった。ほどなく
糞野に粗相軍が攻めて来た時、溜備
は痔庶を軍師として、彼の作戦を採用した。それは、攻めて来る
粗相軍の通り道に糞を置いておき、避けて通ると落とし穴(肥溜め)に落ちるというものである。
果たして、
粗相軍先鋒の痢曠、痢翔は、見事に落ちて絶命したのだった。
彼らの上官だった
曹腎は怒り狂い、仇討ちとばかりに大軍を率いて攻めて来た。
やはり道に糞があったが、既にネタを聞いていた
曹腎はひるむことなく糞の上を進んだ。
しかし、今度の落とし穴は糞の方が当たりであった。
曹腎
は糞まみれでなんとか這い上がったものの、その姿を見て脇を固める部下達が逃げてしまっては
自らも退散するほか無かった。
拠点
糞城に逃げ帰ったが、中に入れて貰えない曹腎。追撃した
腸飛と浣羽が、城主のいない糞城を乗っ取った。こうして
溜備軍は痔庶の知謀により大勝利をおさめた。しかし
痔庶はその後、粗相の謀略によって溜備
の元から離れることになる。別れ際に
痔庶は溜備にこう言った。「殿の軍に
放水か過溜が加われば、天下を取れましょう。」第九回「うん顧の礼」
肛明(過溜
の本名)が近くに住んでいると聞いた溜備は、浣羽
、腸飛と共に会いに向かった。昼過ぎに家に着いたが、応対に出た弟子はこう言った。
「
肛明先生は今、うんこ中です。先生は便所に入ると、いつ出られるか判らないんです。」
「では、便所の前で待たせてもらおう。」
しかし
肛明は、日が暮れるまでに出てくることはなかった。「しょうがない、出直すとするか。」
数日後、今度は昼前に着いたが、やはり同じ結果であった。
「うぬぬ、私には天下は取れぬという事か。」
さらに数日後、意地になった
溜備は、弁当を持って朝から押しかけた。
しかし、またまたうんこ中だと言う。
持参した弁当を便所の前で食べながら待ち、
その日もすでに暮れかかっていた。
「
溜備兄、そろそろ帰りましょうぜ。」「帰りたいのだが…便意が…」
「おい坊主、他に便所はねえのか。」
「あいにく先生がお入りになってるのだけです。」
「うう…もう我慢できん!!!」
溜備
は、便所の前で尻を出し、思い切り脱糞した。みるみるうちに、巻糞が山のように積みあがった。
そこにちょうど戸を開けて、ようやく
肛明が出てきた。溜備
の糞を見つめる肛明。ばつの悪い三人。はりつめた空気の中、
肛明が口を開いた。「そんなに溜まるほどお待ちいただき光栄です。
この糞を見て、一目で大人物と判りました。
ぜひ
溜備殿のお力になりたい。」糞国志最大の英雄、
肛明は、こうして溜備軍に加わった。第十回「吐く肛坡の戦い」
肛明
が溜備軍の軍師になって最初に指示したのは、吐く肛
の地に広大な芋畑を作ることであった。しかし、芋の収穫の時期になると、
粗相
軍の夏肛豚が十万の兵で吐く肛を占拠してしまった。夏肛豚
は吐く肛が芋畑であることを聞いており、食糧を運ぶ必要のない
吐く肛は格好の標的となってしまったのである。
溜備
は、吐く肛の粗相軍征伐を肛明に全権委任した。実は
溜備は、とても勝ち目がないと思い肛明
に全責任を押し付けるつもりだったのだ。しかし、それを知らない
浣羽と腸飛は面白くない。肛明
の指示などまともに聞けるかという態度だったので士気も下がり、夜は軍全体が酒びたりであった。
数日後の夜、例によって
溜備軍にかなり酒が入った頃、突然
肛明から、吐く肛に攻め入るよう指示が出た。無視する訳にも行かず、しぶしぶ突撃する
溜備軍数千。食糧十分で士気も上がっている
粗相軍十万。誰の目にも勝敗は明らかと思われた。
しかし、
肛明がこっそり仕掛けた発火装置のボタンを押すと、吐く肛
のあちこちから火の手が上がった。驚きのあまり、放屁する
粗相軍。この屁に引火して、火はますます勢いを増し、
粗相
軍をたちまち焼き尽くした。なんと
肛明は、粗相軍に放屁させるために、吐く肛
を芋畑にしてわざと乗っ取らせたのである。一方の
溜備軍は、酒を飲んでいたために放屁ではなく、放尿した。
このため、
溜備軍の回りの火だけは見事に鎮火したのである。
粗相
軍は、副将の失禁が血路、いや尿路を開き、夏肛豚
と二人で何とか逃げ果せた。こうして、
肛明の計略により、圧倒的不利であった
溜備軍は大勝した。計略の全てを後で聞いた
浣羽と腸飛はすっかり心酔し、以後
肛明に一目も二目も置くようになった。肛明
が名実ともに溜備軍の一員として認められた瞬間であった。
第十一回「長糞坡の戦い(前編)」
(重肛ビーファイター)吐く肛坡
にて溜備軍に敗れた粗相軍は、今度は
粗相自ら三十万の大軍を率いて糞野に攻めてきた。到底守りきれないと悟り、
溜備達は城を捨て逃げる。しかし、
溜備を仁の人だと思い込んでいる民が(これも痔の人の噂が誤って広まったもの)
くっついてきたことが仇となり、
長糞
の地で粗相軍に追いつかれてしまう。急襲され散り散りになる
溜備ご一行。溜備
の家族を護衛していた趙糞だったが、野糞をしているうちに
夫人並びに阿呆
(溜備の息子、後の溜褝)とはぐれてしまった。粗相
軍をかいくぐりながら必死に夫人と阿呆を探し回る趙糞。やがて、壊れた土塀の影で座り込んでいる
夫人
を見つけることができた。しかし
夫人は突然現れた趙糞を敵と間違えて恐怖のあまり失禁した挙句、
恥ずかしさのあまり近くの井戸に身を投げてしまった。
しかたなく
趙糞は残された阿呆を鎧の中に隠して再び戦場をかいくぐり
溜備の元に向かった。鎧から出してみると、
阿呆もまた恐怖のあまり失禁、そればかりか脱糞までしており糞まみれであった。
受け取った
溜備は思わず地面に投げ捨ててしまった。(このときに
阿呆はアホになったという)「糞餓鬼めが!お前のせいで優れた将を失うところであった!」
趙糞
の手前溜備はそうごまかし、単純な趙糞は溜備
への忠誠をさらに深めるのであった。第十二回「長糞坡の戦い(後編)」
(重肛ビーファイター)さて、時は少し戻る。
趙糞
が粗相軍の中に一人戻っていったと聞き、腸飛
はその救援に向かっていた。長糞橋
の袂にただ一騎立ち、趙糞の帰還を待ち構える。程なくして疲労困憊した
趙糞が敵に追われながら戻ってきた。「
腸飛兄、助けてくれ!」「
趙糞、任せろ!」腸飛
には策があり、その策のためにすでに腹には数日分の糞を溜め込んでいた。
趙糞
を追ってきた敵は、腸飛に糞を投げつけられあっけなく散った。
趙糞
が橋を渡り終えると、腸飛は橋の中央まで進む。すぐ目の前に迫った三十万の
粗相軍に向かって持ち前の大声で力いっぱい叫んだ。
「
我こそは便人腸飛!命を惜しまぬ者は誰なりとこの橋を渡って来い!」
そして尻をまくると数日分の糞を一気にひりだした。
たちまち橋の真ん中に巨大な糞壁ができあがる。
あまりの臭さに多くの将兵が落馬するわ気絶するわの大騒ぎ。
糞壁を突き破ろうとした
夏肛穴はあえなく糞壁に埋もれて窒息死した。
しまいには、あまりの重さに橋までが壊れて落ちてしまった。
粗相
はたまらんとばかりに兵を引き揚げ、溜備
軍は無事に逃げおおせたのである。第十三回「連合軍成立」
(エクソダス)猛将の糞闘によって辛くも
粗相軍の追撃を逃れた溜備は、後国
の糞権をうまく騙して粗相にぶつけようと考えた。それを見越した
粗相は糞権に脅しをかけるかのように腸江
のほとりに八十三万の大軍を集めて巨大な要塞を築いた。八十三万の兵士達は便所代わりに糞尿を
腸江に垂れ流したのでたちまち
腸江の水は黄褐色に染まった。さて、
肛明は糞権を必ず説得してみせると溜備
に大見得を切って後にやってきた。だが、
後の陣営では降伏派と開戦派とで意見が真っ二つに分かれ、当の
糞権は心労のあまり糞が止まらない病気にかかり、便所に篭って誰とも会わない始末であった。
糞権
に直接会えない以上、説得には別の道を考える必要があった。そこで
肛明は、後の重臣で最も発言力のある水軍都督
臭瑜に目をつけた。その夜、
肛明は臭瑜に面会してこんなことを言った。「二人の美女を
粗相に引き渡せば粗相
軍は戦わずして引き揚げましょう」「その二人の美女とは?」
「
大腸と小腸です。粗相は銅雀台で大腸に脱糞させ、小腸
に放尿させるのが生涯の夢であると詩にまで詠んでいます」大腸
は糞権の亡兄糞策の妻であり、小腸は当の臭瑜の妻であった。すかさず追い打ちをかけるようにその詩を詠み出す
肛明。(実はその詩は
肛明が適当に作ったものだった)臭瑜
は放屁するほど怒り狂い、何が何でも粗相を討つと誓った。翌日、
臭瑜は脱糞中の糞権を便所から引きずり出して開戦を訴えた。
最も信頼する
臭瑜の言葉に、糞権
はついに糞と一緒に迷いも断ち切った。さっきまで篭っていた便所から便器を持ってこさせると、
諸将の面前で一刀両断にした。
「今後降伏を口にする者は、この便器のように斬る!」
今、糞国志最大の戦いが幕を開けようとしていた。
第十四回「十万の矢」
(エクソダス)開戦が決まって慌しくなる
後陣営。ある日の軍議中に矢が足りないという意見が出た。
そこへ
肛明がしゃしゃり出る。「では十万本ほど、私が四日後の朝までに用意しましょう」
到底信じられない話だったが、
臭瑜は思うところあって肛明に任せた。臭瑜
は肛明に矢を作るための人員も材料もろくに与えなかった。態度のでかい
肛明をどうも好きになれなかった臭瑜は、肛明
にわざと失敗させ、それを口実に斬り捨てようと考えたのだ。それから二日間、
肛明は姿を見せなかった。肛明
め、さぞ困っているだろうとほくそ笑む臭瑜。だが、三日目になって
臭瑜は妙な噂を聞いた。肛明
が国中の便所から糞を大量に集めているというのだ。「まさか、糞で矢を作ってるんじゃあるまいな」
臭瑜
は心配になって肛明の所に様子を見に行った。肛明
は腸江のほとりに一艘の巨大な船を浮かべていた。「
肛明め…いつの間にこんな船を」近付くと
臭瑜は異臭を感じた。それもそのはず、その船は糞で出来ていたのだ。
肛明
は臭瑜に気付くと得意げにこう言った。「今から矢を作りに行きます。一緒に行きましょう」
臭瑜
を連れて糞船に乗り込み、そのまま
腸江を渡って粗相軍の要塞へ向かう肛明。粗相
軍は大挙して迎撃に出てきたものの、相手の船が糞で出来ていると知ると
誰も近付くのを嫌がって遠巻きに矢を撃ち込むばかり。
頃合いを見て、
肛明は悠然と後の陣へ引き揚げた。船に刺さった矢を集めると、その数は十万本を優に超えていた。
「
孔明殿…あなたの知恵には恐れ入りました」臭瑜
は肛明に一目置いて、素直に意見を聞くようになった。肛明
もいよいよ本格的に粗相軍を撃退する策を考え始めた。(その戦い自体は省略)
第十五回「食の興亡」
その後、
溜備軍では、肛明
と並び立つと言われる賢者・放蕩(放水の本名)も加わるが、落尿坡
と呼ばれる崖で放尿中に転落死したり、粗相
軍に勝ったり負けたり、敵将であった
馬腸、肛虫を加えて、浣羽
、腸飛、趙糞と合わせて五人を「うんこ将軍」(うーこ=五虎 という説もある)に任命したりしているうちに、
肛明
の「天下三糞の計」で天下は痔、後、食に分かれ、溜備
は食の国王となった。その後、
浣羽は糞権に捕えられ、「浣腸してくれ」という糞権
の頼みを断ったため斬首される。義兄が殺され激怒した
腸飛はすぐに、溜備
とともに仇討ちを行うと勝手に宣言する。すっかり有名になった
腸炎の誓いがあるため、断れない溜備。しかしその進軍中、機嫌の悪い
腸飛に部下達はついて行けず、腸飛
は脱糞中に部下に殺されてしまう。溜備
はこれ幸いと逃げ帰ろうとするも、陸糞に見つかり応戦。なんとか帰還したが、この時の肛門の傷がもとで間もなく死んでしまう。
以後、
食は溜褝(阿呆)が王となったが、実質肛明が支配した。しかし、
軟便王を七度捕え七度脱糞させたり、初の実戦で脱糞した
馬食を涙を飲んで斬ったり、糞で人形を作らせて、自分の死後にはこれで
司馬胃
に対し芝居を打てとダジャレを言うなど、もはや
肛明の指示にも冴えは全く見られなかった。肛明
が死んで、待ってましたとばかりに遊びまくる溜褝。宦官の
肛肛にべったりで、ついに食を滅ぼしてしまった。ほどなく
痔、後も滅び、糞国の時代は終わった。(糞国志便義は今回で打ち切りです。長い間ご愛読有難うございました。)
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